スマホ脳で有名な著者の本を読んだ。
一言で言えば、俺たちの脳は25万年前の狩猟採集時代から何も変わっていないから、生きるのが苦しいというもの。
狩猟採集時代の人々は一緒に狩猟して、そのためにたくさん運動し、労働時間は現代より短く、仕事後はみんなと語らい合って暮らしていた。絆で結ばれていた。
だから、脳の構造が当時から変わっていない以上、過度の運動不足と孤独は病気や早死にを招く。詳細はこの本を読んで欲しい。
俺が薄々感じていたことが、この本で確信に変わった。
俺は20歳頃から親と疎遠。友達もいない。他愛ない話しをする人もいない。そうした状態が10年近く続いていて、最近身体の病気が増えてきた。
体力、気力も落ちた。体重も落ちた。そして、知覚が過敏になり、周りの物事に敏感になってきた。特に、他人が自分に敵意を抱いていると感じるようになった。イライラしやすくなった。
世間が自分を脅かす存在に変わってきた。どうしても、そう感じてしまう。被害妄想ではなく、実際そうなのかもしれないが(笑)
これ以上俺を脅かさないでくれ(笑)
こうした状態を改善するために、筋トレや運動もした。サプリメントやプロテインも飲んだ。気晴らしに一人でドライブや映画館に行ったりもした。
でも苦しいのは変わらなかった。
つまり、孤立や孤独な状態が長期間続くとどんな健康法もほぼ意味がない。
人にまず必要なのは自分がくつろげる人間関係。安心感を感じられる関係。働かなくてもそこにいていい関係。心の支えになる人。
狩猟採集時代にあったのはまずもってそうした人間関係だろう。
俺たちの脳はそこから何も変わっていないし、孤独や孤立に適応できない。
脳が進化しない限り、人間は経済的に一人で生きられても、精神的には一人で生きられない。
長期間の孤独は自分を破滅させる。
俺は焦っている。食べても、体重がどんどん減っていく。何しろ体に気力がみなぎらない。
俺はこのままだと病気だらけになる。
俺が最も欲しいのは、心の支えになるたった一人。あるいはたった一つの居場所。
皮肉なことに、自分が最も欲しいものは自分で作り出せなかった。どれだけ頑張っても、自分自身で心のすべてを満たすことなどできなかった。
今、さみしいというよりしんどい。人生というマラソン大会を息を切らしてなんとか歩いている。
これは孤独という慢性疾患にかかっているせいだ。一般的な健康法はほとんどやった。でも治らない。
孤独という慢性疾患を治せるのは他人だから。
ポルノ断ちやニュース断ちも、孤立を解消するための努力につなげないと意味がない。
一緒にいて気楽な人と出会うこと。
心が開く人に出会うこと。
生きる原動力はそこから得られる。
俺はいくつかの居場所探しをした。でも、自分が求める関係を得られなかった。話しが弾まず合わなかったとか、そこまで遠いとか、つまらなかったとか色々ある。
俺はこのままだと、死ぬ。
慢性的な孤独を主原因とした身体疾患によって死ぬ。
死にたい。
消えたい。
生き辛い。
生きている意味が分からない。
生きる目的は?
神はいるのか?
お金があればすべて解決。
今なら分かる。こうした思考の出現は孤独のせいだった。
健康を取り戻したいのなら、狩猟採集時代の身体的、精神的要素を生活に「意図的」に組み入れないといけない。
彼らにとって、運動と人との絆は必然だった。それ以外生きる方法がなかったのだから。だから、狩猟採集民が優れているわけではない。
そうせざるを得ない時代だっただけだ。
現代人に欠けている、運動と他者との交流。
先にするのは他者との交流。運動なんて後回しでいい。
俺はもうやるべきことはやった。
もう疲れた。
死にたくない。
消えたくない。
人生の目的も意味もどうでもいい。
神がいるかいないかもどうでもいい。
たった一人、たった一つの居場所が欲しいだけなのに、どうしてそれを得るのがこんなに難しいんだ。
俺はもうじき死ぬ。孤独による病気の発症で死ぬ。それが、ガンか糖尿病かは分からない。
でも、このままだと死ぬ。
このままを変えようと努力したけどダメだった。
世間よ、俺を責めないで欲しい。
努力も行動もした。
俺を待ち受けているのは、次はどんな病気だろう。
孤独によって、身体中の細胞が炎症している。
脳よ、俺は25万年前の健康的な状態を再現できなかった。
頼む、もう許してくれ。
そして、さっさと進化してくれ。
俺はお前に合わせて生きられない。
ならば、お前が俺に合わせるしかない。
一人でも楽しく生きていけるようにしてくれ。