本気でオンラインポルノを絶つ人のためのブログ

本気でオンラインポルノを断ちたい人のためのブログです

日本人の孤立問題は深刻なのか?日本人の孤立は相対的孤立ではないのか

先日、アフガニスタンの現在を取材した動画を観ました。タリバンに制圧されてからの現状はひどいものでしたが、孤立について考えさせられる内容でした。

動画の中、橋の下で片寄せあってドラッグを吸う貧しい人々がいますが、彼らの抱えている苦悩は社会からの孤立と労働からの孤立です。ドラッグを吸う人々は国や社会から見捨てられています。仕事もありません。私はこれが絶対的孤立なんだと思いました。

国や行政から何の支援もなく、完全に分断され、労働による社会とのつながりもない。分断された人々は群れて橋の下で生活し、ドラッグを吸っています。一見、そこには分断された人々同士のつながりがあるように思えましたが、そのつながりは意味をなしていないように感じました。

私が思うに、日本人の孤立問題は相対的孤立ではないかと思います。少なくとも日本人は国や行政から孤立していません。見捨てられていません。生活保護や年金、保険制度、裁判を起こす権利など、国や行政に一人の日本人として扱われています。

そして、労働による社会とのつながりも得られます。ひきこもりや障害者の人にも支援がありますし、働きたいと思う人には支援制度があります。

私はアフガニスタンの動画を観て、「人間に最低限必要なつながり」は2つあると思いました。自分が所属する根本の組織である国から見捨てられていないこと。その国から一人の国民として扱われていること。そして、労働による社会との結びつきがあることだと思います。もちろん奴隷のような一方的搾取による労働はダメです。労働できない人は何かしらのことをして社会とのつながりを得て貢献できればいいと思います。

 

日本にある孤立は、友達や恋人がいない。悩みを話せる相手、いざというとき頼れる相手がいない。家と会社以外の居場所がない。趣味でつながる人がいない。家族がいない。高齢になって話し相手がいない。看取ってくれる人がいない。

私は親とも絶縁状態です。友達も恋人もいません。家と会社以外の居場所はありません。職場では仕事で必要な会話以外話しません。近所の人とも全く交流がありません。趣味で何かのコミュニティに所属しているわけでもありません。クリスマスも一人、結婚式も出たことがなく、年賀状も誰からも届きません。

 

これはさみしいことなんだと思います。ですが、こうしたことって相対的孤立だと思います。絶対的孤立は国や社会から見捨てられ、社会に何の貢献もできないことです。つまり日本人の抱える孤立はぜいたくなんだと思います。言い換えれば資本主義がある程度成熟しているからこそ感じられる孤立感です。満たすべきものを満たしているからこそ生まれる孤立感です。

 

絶対的孤立とは絶望です。相対的孤立とはさみしさです。

 

他人と比べて自分は一人ぼっちだと思っているだけです。日本の同調性の強い社会がそう思わせているだけなように感じます。

 

アフガニスタンでドラッグを吸う人々は同類とつながり合っていたのに孤立しています。さみしさどころではありません。絶望です。つながりがあるのに孤立無援です。それは絶対的孤立の土台がないからです。国から分断され、国民として認められていないこと。自分の能力を生かして社会に何のコミットもできないこと。そうした土台がなければ、同類でたむろしても何の意味もないのだと思います。彼らは生きるために、あの悲惨な状況に「適応」するためにドラッグにすがるしかないのです。弱いのではなく必死の抵抗なんだと思います。

 

絶対的なものに気づき、相対的なものに気づくことができれば自分がいかに幸せなのか分かると思います。

それにしても相対的な力は大きいです。

本来それはまやかしであり、成熟や退屈が生み出した余剰にすぎません。

 

男が軽自動車に乗っていたらダサい。

いい年こいて実家ぐらし、非正規やフリーター。

家と会社以外居場所がない。

将来孤独死しそう。

 

そんなことどうでもいいことなんだと気付きました。

 

相対的な逆風を受けつつ、それをまやかしと見抜いて、あとは楽しいと思える人生を生きていけばいいのではないかと思います。


www.youtube.com