学生社会でのLINEによる仲間外れやいじめ。
婚活サイトなどのチャットの書き込みによる気分のすれ違い、会った際の幻滅。
不用品アプリの個人取引による音信不通やドタキャン。
SNSは人の感覚や感情を麻痺させる力があると分かった。
単なるぼやきアプリから始まったツイッターは、いまやアメリカという国の分断と差別に拍車をかけている。
アメリカ人が感情表現豊かな国民だからこそ、ツイッターの本質が分かる。
SNSは感情を誇張させてしまう。
うれしいことはさらに嬉しくなり、不快なことはさらに不快になる。
ところで、日本の携帯大手の2年縛り契約による解約金がなくなって久しい。思えば、途中解約したからといって、なぜ高い解約金を払う必要があったのだろう。
もし日本政府による指摘が入らなければ、携帯大手はいまも同業同士で癒着して、私たちから金をぼったくっていたに違いない。
私たちは強者からぼったくられている。
そして強者は見逃してもらっている。
叩くべき相手、引きずり下ろすべき相手は弱者ではなく、強者である。
私たちはゲームをするとき、ボスを倒そうとする。スライムの相手をずっとしている人などいない。強い相手と戦い、経験値を稼いでクリアを目指す。
だが現実社会では、人は下を見る。人生がうまくいかなくなると、ボスではなくステージ1に戻ってスライムを倒そうとする。スライムをいじめて、スライムに責任転嫁する。
私たちはボスを倒さないといけないし、ボスに責任転嫁をすべきだ。
携帯大手のぼったくりのような圧倒的強者が生み出している経済格差や搾取を解消していかない限り、日本はこのままだ。
経済格差や孤立や依存症が広まったこの日本社会。年間二万人の尊い命が自殺によって失われる日本社会。
大企業同士の癒着、大株主への過剰な配当金、圧倒的強者への低過ぎる課税。
庶民ができることは、強者に従順にならず、強者の理屈にまじめにならず、自分のことを考えて生き、みんなで団結してボスを倒すことだ。
SNSはそのためにある。
だが、いつの時代も庶民は天才が作ったものをろくでもないことに使う。
そして自分たち同士でトラブルを起こし合っているバカな生き物だ。
私たちはSNSで互いの感情をぼったくっている。自分の感情を何倍も増幅させられる装置によって、無駄な創造力を酷使させられている。
資本主義の進歩によって、人は同じ姿勢で同じ作業をして、身体や脳の同じ部分を一日中酷使させられる仕事をするようになった。
特にサービス業や工場ライン作業において、人は機械みたいな扱いを受けている。
店員さんはいつもニコニコ挨拶しなくていい、ライン作業のスピードはみんなが合わせられる速度でやればいいんだ。
私たちはロボットじゃない。私たちの心は電気じゃない。手足はアームじゃない。
SNSの世界もそれと同じだ。
脳の同じ部分を酷使し、同じ感情を味わわされている。
人の機械化は余暇においても始まっている。
労働と余暇の機械化は人を分断し、孤立させる。
こうした構造を演出した圧倒的強者には誰も責任を転嫁せず、私たちは自分や他人を責めたり、意志の力で我慢したりしている。
私たちはSNSに感情を搾取されている。
感情のぼったくりが密かに浸透し、現実生活の感情が貧しくなっていく。
だがスマホを手放せないように、みんながSNSを手放せるわけじゃない。
私たちはSNSをしているとき「冷めて」いなければいけない。
ツイッター、フェイスブック、note、チャット、婚活アプリ、中古売買アプリ、単発バイトアプリなど。
こうした無数のアプリを冷めて使わなければいけない。
私たちが冷めた態度でSNSを使えば、それは有意義な時間やお金や出会いをもたらすだろう。
SNSで互いに冷静な気持ちでやりとりすること。互いにその配慮を忘れないこと。
圧倒的強者が作り出した媒体に対抗するには、その媒体を完全にやめるか、徹底的に利用して、改良していくしかない。
日本が西洋化を進めて豊かになったように、早期リタイアの生き方が資本主義の成熟で可能になったように、改良して自分のモノとする。
SNSの場合、その力は冷めていることだと思う。
期待、うれしさ、情熱、やる気、スケベな興奮、さみしい、辛い、みじめ、イライラ。
こうした感情をぼったくりの逆として味わってみよう。
すなわち、自分の感情に値段をつけ、定価の7~8割引で味わおう。
それがSNSで感情をぼったくられないシンプルな方法だと思う。
そして、相手がもし過剰に自分に期待したり、ネガティブな感情を抱いていたら、冷静になるように促してあげよう。
ぼったくるのもダメだ。
私たちスライムは、団結しないとボスに勝てない。互いに戦い合っている場合ではない。