本気でオンラインポルノを絶つ人のためのブログ

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なぜネットのコンテンツは無料なのか?

ストレスが溜まったときに、菓子や酒やギャンブルで発散しようとすると金がかかる。

 

でも、ネットのコンテンツは無料だ。

 

YouTube、ポルノ、SNSなどの嗜癖の強いコンテンツはなぜ無料なのだろう?

 

ふとそう思ったので、今日は中二病の如くネガティブにこの問いを解釈してみたい。

 

 

ネットのし過ぎで時間を浪費する。

 

私も含めてこれは誰もが経験している。

 

人間の脳がなぜネットに釘付けになるかというと、常に更新されているからだ。

 

「新しい」から、人はネットに引き付けられる。

 

ネット依存の本質はそれ以上でも、それ以下でもない。

 

だとしたら、人間は街灯に群がる昆虫のように「新しさ」に引き付けられているだけだ。

 

この仕掛けを作ったのは、私たちだ。

 

あなたは私のブログを読んでいるが、私のブログは街灯みたいなものだ。甘い樹液など出ていない。

 

あなたは私のブログの記事を読みたいのではなく、新しい記事を読みたいのだ。あなたが求めているのは学びではなく、新しさだけだ。

 

だから私は読者の貴重な時間を奪っている。

 

しかし、人々が互いに相手の時間を浪費させ、ネット依存で心身の健康を害して働けなくなる人が増えたらどうなるだろう。

 

ここで、最悪の未来を想定してみよう。

 

大量のネット依存者が生まれ、その人たちが労働できなくなり生活保護を受ければ、国の経済は衰退し、健康な人々がネット依存者を支えなければならなくなる。

 

ネット依存者はお金がないので、ネット広告やアフィリエイトや通販サイトの儲けも減る。

 

つまり、大量のネット依存者が生み出されることは企業にとってデメリットだ。

 

にも関わらず、なぜネットには依存性の強いコンテンツが無料で溢れているのだろう?

 

その答えは人間の「適応性」にあるようにおもう。

 

ネット依存によって、学校や仕事に支障をきたす言動は確実に増加している。

 

私も、出勤前にスマホをいじって遅刻しそうになったり、睡眠不足になったりしている。

 

ブログやツイッターをしても、誰からも読まれないことに感情を乱されている。

 

こんなことならいっそのこと、スマホなんぞ放り投げたい気持ちだ。

 

自分はスマホがないほうが良い人生が送れるのではないかとも思う。

 

いや、いっそガラケーにもどして、ネットしたいときはWi-Fiスポットに行ってスマホタブレットを使うライフスタイルでもいい気がする。

 

生活できるだけの稼ぎがありさえすれば、それ以外はネットがなかった時代のように生きる。

 

スマホがなければ生活できない時代がくるまでねばり、「繋がらない」生き方をする。

 

どうせ私には友達も家族もいない。心に杖をついてなんとか生きているだけの人間だ。

 

自分一人好き勝手生きても、誰も興味を持たない。

 

 

おっと、話しがそれてしまった。

 

ネットに人を依存させるコンテンツが無料で溢れているのは、人間を生かさず殺さずの丁度いい状態にしておけるからだろう。

 

人々を社会生活が送れなくなる手前の依存状態にしておくことで、稼いだ給料をネットに使わせる。

 

 

大衆を新しさで引き寄せて、低空飛行の状態を保たせる。

 

これからの時代は一段と格差が拡がるだろう。ネットの新しさに群がる庶民層が、一部の個人や企業に金を落とし続ける。

 

そんな状態がしばらくずっと続く。

 

低収入の人ほど、金と時間と気力を奪われる。

 

ネットは人間の脳を満腹にしないからこそ、コンテンツは無料なのだ。

 

なにかもっともなことを表現したふりをして、新しさを提供しさえすれば、庶民は金と時間を浪費していくのだ。

 

私はこんな時代に生まれてきたくなかった。

 

人間の脳の脆弱性を利用して経済を回さなければならない社会を生きたくはない。

 

 

私は長い長いネット依存との死闘を通して気づいたことがある。

 

たった一つだけ信じていることがある。

 

それは、自分にとって大事なものは自分の身近にあるということだ。

 

私がスマホを持っていなくても、オンラインでなくとも、私の人生は生きていけるようになっている。

 

私には、洗濯機や冷蔵庫、暖房器具、車、駅、スーパー、ホームセンター、レンタルショップ、銀行、ガラケーなどがある。

 

それだけあればなんとかなる。

 

ネット依存とは、ネットの世界に過剰適応しようとした結果の病気だ。

 

ネットの世界に適度に依存できなかったからこそ、病気になった。

 

会社をクビになるとどこにも行くところがないと思えば、そこから過剰適応は始まる。

 

そして、無理をしてうつ病になる。うつ病が異常なのではなく、過剰適応しようとして自分をいじめたことが異常なのだ。

 

私たちは資本主義や日本社会や地域や学校や会社や世間体に適応しようと頑張る。

 

けれど、心が病むのならもう頑張らなくていい。

 

あなたは、その価値に適応できなかった。ただそれだけだ。

 

私たちは新しさが押し寄せてくるネットに適応しようとしている。

 

だができない。

 

またトライする。

 

だができない。

 

何度も何度もトライする。

 

だができないのだ。

 

ネットに過剰適応しようと頑張り続ける私たち。

 

その頑張りはネットコンテンツに奪われる。

 

どうでもいいことを、もっともらしい新しい表現で提供すれば、大衆という名の蛾は集まる。

 

 

もう、適応しようと頑張らなくていい。

 

過剰適応で精神を病むなら、時代遅れで孤独でさみしい人生が原因で精神を病みたい。

 

異常な人間たちがまともな扱いをうける社会ならば、まともな弱者として生きたい。