本題に入る前に、今日の記事は決して読者を煽ったり、不安や恐怖心を与えるためのものではありません。
私が思う、単なる未来の見通しを伝えるだけです。
では始めます。
これからは、色々な事が二極化傾向を増していくように思います。年収、恋愛、有能か無能か、頭がいいか悪いか、人間関係が豊かか貧しいか…つまり、人生が充実している人とそうでない人の差が開いていきます。
なぜかというと、現在の狂った資本主義を改善しない限り、分断は止まらないからです。
資本主義とは経済資本主義のことです。
その世界中のお金を一部の超富裕層や大企業が所有しているため、経済の多様性はほぼ失われています。
経済の多様性が失われると、お金を土台にしている庶民の暮らしも多様性がなくなっていきます。
二極化とはGoogle化と言い換えることもできます。検索されるのは最初の数ページで、あとはほとんど読まれません。
おそらく、私のブログはGoogleに相手にすらされてないので永遠に読まれません(笑)
本来、インターネットとは現実社会を拡大視したものでした。しかし今ではネットが現実に深い影響を与えています。
とすれば、私たちの社会はネットを拡大視したものが増えていくでしょう。
人の日常はGoogle化していきます。
二極化を深めていきます。
こうした時代には、出る杭はただ伸びていくだけです。
なぜなら、出る杭を打つ人が自滅していくからです。
世の中は誘惑だらけです。もはや現代は退屈な時間を過ごすことを禁じられているかのようです。
スマホをはじめとしたデジタルツールが、人の時間、金、気力、感情、睡眠時間をことごとく奪っています。
『暇だからスマホを触ったせいで、ますます退屈になっているのです。』
それは偽りの暇潰しです。麻薬的な行動です。
とすれば、こうした人がますます増えていくなら、出る杭を打つ人はほとんどいなくなるでしょう。
思考力が低下するからです。
また、日本の場合同調性が強い国民性があるため、多くの庶民は自滅していく方を正常とみなし、自分もそちらに合わせるでしょう。
日本人は考えない民族ではありません。
頭ではなく、身体全体で考えています。
だからこそ、社会の主流である価値観を内面に取り込みやすく、周囲の雰囲気に溶けこむのが早いのです。
そのため、価値観が変化しても、自分もコロコロすぐに変わります。
「過労死」という日本固有の現象は物事に過剰適応する日本人の特徴を物語っています。
組織や共同体から排除されないために、うつ病になってまでも適応しようと頑張る。最悪、適応できない自分を責めて自殺する。
日本人は外部に怒りをぶつけるのではなく、その事物に適応しようと自分を責めるのです。
それが行き過ぎると、過剰適応によって外部の価値に心を乗っ取られて自分を見失ったり、メンタルを病んだりします。
日本人は共同体から排除される怖れや不安をなくすために過剰に適応しようとするのです。根性や気合という精神論もその証拠です。
これが日本人の弱さです。
日本人はこの弱さを自覚しないといけません。
この先はデジタルツールで消耗している人が主流になっていくでしょうから、日本人はそれに合わせます。たとえそれが異常でも、日本人は安心したがりなのでそうなります。
現代は異常者が正常とみなされる悲しい時代です。
自分の感性を大事にしているだけなのに、変わった人扱いされます。
長い目で見れば、出る杭は打たれません。
周りの多くの人間はデジタルツールに人生そのものを奪われていきますから、勝手に自滅していきます。
そうした人ばかり増えていくので、まともな人はさみしさや疎外感を感じやすくなるでしょう。
世の中バカばっかりなのではなく、安心したがりばっかりなのです。
これからの資本主義はキツそうです。
でも、ふつうに生きてるだけで出る杭になれます。いや、出る杭になってしまいます。
自分の感性を大事にし、デジタルツールに費やす強迫的な暇潰しの時間を減らすだけで、おのずからあなたは出る杭になってしまいます。
まずは、無目的にスマホを触る時間を減らせばいいです。
仕事の休憩時間にスマホを強迫行為のように触らないことです。
周りの雰囲気に負けてはいけません。周りの人間は全員中毒だと思いましょう。
私はポルノをやめてからしばらくたってポルノを気持ち悪いと感じるようになりました。
同じように、強迫的にスマホを取り出す人々を気味が悪いと感じるようになるでしょう。
そして、過剰適応している人々をそっと見守ってあげましょう。