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生産性や効率の概念に自分を見失っていた

ここ一年近く資本主義についての思考が増えた。

資本主義についてなど今まで考えたこともなかったというのに。

 

資本主義という小難しい言葉なんかどうでもいいと思うのだが、

思考がそのことで占領されてしまう。

 

そうなる理由は、おそらく資本主義が適切に機能しなくなっているからに違いない。

 

人間の文化的な生活を支えている土台。

それは太陽、酸素、食品、天然資源、電気、ガス、水道、ごみ処理などだ。

こうしたものが適切に機能しているからこそ、人は人生を送れるのだけれど、人はそのことを忘れている。

 

そして、失われてからそのありがたみに気付く。

資本主義についてもそれは言える。

 

資本主義が適切に機能していない理由はたった一つだと思う。

それはほんの少数が世界の富の半分以上を所有しているからだ。

 

経済学の知識は全くないが、富の偏在が格差を生んでいる。

 

そして資本主義に修正が加わらない限り、このままいくと思う。

 

 

思えば実家暮らしの人が増えたと感じる。

 

実家に住まなければ遊びや貯金代を捻出出来ない人がどんどん増えている。この事実は誰も否定できないだろう。

 

多様性が大事と言っても、庶民層の経済的な安定なしにそれは実現しない。

 

心にゆとりがないのに他人の生き方や考え方に関心を抱く余裕は生まれない。

 

経済の多様性が完全に失われているいま、どれだけ新しい多様性の概念が生まれても世間には定着しないだろう。

 

これからますます格差が拡がるのに、自分の生活で一杯なのに、夫婦別姓ジェンダー問題、環境問題に関心が向くだろうか?

 

他者に寛容な気持ちになれるだろうか?

 

 

資本主義が狂いだした契機は、生産性や効率という言葉が流布し出した頃からだと思う。

 

それに続いて副業という言葉も一般的になった。

 

 

私もそれらになんの疑いもなく、便乗していた。

 

しかし、あるときふと感じた。

 

サラリーマン社会で頑張れば頑張るほど仕事が増えて、自分がどんどん疲弊していったことに。

そして、効率的に仕事をこなして、手ぶらになったのでぼーっとしていると、周りからサボっていると見られることに。

 

生産的に仕事をこなすと仕事が増え、早く仕事をこなしてぼーっとしていると批判的な視線を感じていたたまれなくなる。

 

本当は仕事が遅い人や、仕事のふりをしている人が批判されるべきなのに、資本主義のサラリーマン社会では、逆のことが起きる。

 

そして私は気付いた。

 

資本主義の概念を取り込みすぎると、自分の心身が壊れていくことに。

 

日本は十分なインフラが整っている。自宅で快適に過ごすための家電は一通り出尽くした。生活上の便利さはもう飽和している。

 

それにも関わらず人は経済を回すために商品を売らなければならない。

 

資本主義がこのままいくと、必然的に広告の手段は過激になっていくだろう。誇張も激しくなっていく。

 

必要のないものを買わせなきゃいけないのだから、そうならざるを得ない。

 

そして、それは私が労働者の立場になった場合でも起きる。

 

経済を回すためには庶民層にストレスを与えないといけない。

もし、いまの収入で日本人みんなが一日6時間労働になったら誰が居酒屋に行くだろうか?

誰が会社の帰りにコンビニのスイーツを買うだろうか?

 

 

ほどよいストレスでは商品は売れない。

 

 

広告はますます過激になり、スキルのない労働者はますます奪われ、ストレスが溜まる。

 

 

疲労で思考が奪われ、時間もお金もないからますます手軽なネットコンテンツにハマる。そして大企業やネットビジネスに長けた人間にますます金が転がり込む。

 

 

資本主義という既成概念から逃れる方法はない。

誰もがこの概念にとらわれている。

 

私にできることは、もう効率とか生産性とか副業とかを鵜呑みにしないこと。

 

そしてこれから出てくる新しい概念に耳を貸さないことだろう。

 

いや、正確には便乗したように見せかけてシラケていることだ。

 

それにしても快適さや利便性ばかり追求したら恐ろしい社会になった。

 

一部の人間に富が集中し、庶民層の労働時間は増え、実家に住まなければ生活水準を維持できない人の増加。

 

ブラック企業が減った変わりに、人間の暮らし全般がブラック化してきている。

 

収入減少。人間関係の孤立化。

中間的な関係も希薄になり、もしものとき、人は国か家族しか頼れなくなってしまった。

 

 

私は人間の幸せがなにかは分からない。

 

けれど人間らしさを保つために必要なのは分かってきた。

 

生活していけるだけの稼ぎ。

そして、他愛ない話しができる親密な他者。

「一緒に飯でも行こう」と思える程度の仲の人が一人でもいればいい。

 

 

いやな社会だ。

しかし誰もいまの資本主義を変えようとする気配はない。

 

そうであるならば、自己防衛するしかない。

 

苛烈を極めてくるであろう資本主義の概念に呑み込まれていく人を見つめながら、①生活していけるだけの稼ぎと②他愛ない話しができる他者を大切に生きていこう。