久しぶり。依存症と向き合っている仲間のみなさん、元気にやっていますか?
ポルノ断ちがリセットになり、ここ最近色々と考えていた。
何をって?
資本主義についてである。
いま、斎藤幸平をはじめとして、資本主義の限界や弊害を扱う書物が増えている。マルクスの資本論が注目を浴びている。
俺がポルノに依存するようになったのはインターネットが登場してからである。
それまではレンタルビデオやエロ本で、ポルノとの適切な関係は維持されていた。
つまり、インターネットが登場する前はポルノは単なる娯楽だったのだ。
それがオンラインによっておかしくなった。
ポルノ以外にも、ゲーム、映画、買い物、人間関係などすべてがおかしくなった。
オンラインは俺と様々な事物との適切な関わりを失わせ、破壊していった。
オンラインは俺の多様性を破壊した。
ネット、スマホなんぞ俺には必要なかったのだ。
しかし、スマホを持たない選択をとれば社会からとり残され、孤立や不安が増す。
多くの人間がスマホ依存に苦しみ、そんな自分に嫌悪感を感じながらもスマホをガラケーにしないのは、社会や人間関係から取り残される不安があるからだろう。
現代日本人が心理的に最も恐れているのは共同体からの排除であると思う。
スマホがないと仕事、学校、部活、友人、異性などの関係からほぼ浮いてしまう。LINEをやってないと言うだけで、人間関係が進展せず、関わりが途絶える。
つまり、スマホもLINEも持たない人間はやばいやつ認定されるのだ。
恋愛、友人関係から閉め出される。
例えば恋愛において、LINEやってないどころか、スマホを持ってないと相手の女とはそこで避けられて終わりだ。
電話やSMSでもなんの問題もないのに、相手はスマホやLINEの有無によってこちらの人間性を奪ってくる。
現代人はなぜ電話やSMSがあるのにわざわざLINEを使うのだろう?
LINEを使ってみて思ったのは、ものすごく幼稚だと感じたことだ。
幼稚で未熟でまるで小中学生レベルだ。
携帯会社はSMSを完全無料にすることなどたやすいはずだが、なぜしないのか?
そして、なぜLINEはタダなのか?
俺は、オンラインとは人間関係を充実させるのではなく、堕落させるものだと思っている。
いつでもどこでも、常時のつながりが人間を腐敗させた。
LINEのアプリがなければ人間関係を維持できない人間が山ほどいるのは、彼らが資本主義に自分の人生を明け渡しているからだ。
俺は正しくはない。しかし間違ってはいない。
だがその勇気はない。
とはいえ、今月からスマホのデータプランを1Gプランに変更した。
敵は俺の心の弱さではない。もう十分満ち足りているのに不足していると思わせてくる資本主義にある。
依存症になる心理的な原因を探して自分を責める前に、こうした構造について考えないといけない。
なんでもかんでも自分を責めるまじめな人間は資本主義の絶好なカモだ。
インターネット、スマホがなければ人間関係を充実させることができないと「思わせた」社会の資本主義的構造は、これから俺のような人間に苦痛を与え続けてくる。
スマホなんぞ持ちたくないという信念を実行すれば、俺は人間関係から取り残される。
自分の信念に来る日も来る日も反する人生ならさっさと死にたいが、自殺は怖くてできない。
俺は様々な娯楽と適切な関わりが維持できていた頃に戻りたいだけなのだ。あの頃の自分が好きだ。
あなたと身近な人との関係はスマホがなければ続がないのだろうか?
LINEを使ってなければ続かないのだろうか?
もしあなたが、大谷翔平や岡田准一やディカプリオにSMSでの連絡じゃダメかと聞かれたら何と返すだろう?
もしあなたが大物に対してならSMSで応じるなら、あなたはLINEをしてない人を見下しているのだ。
ちなみに、俺は友人も恋人もいないからスマホを手放せるんだけどね(笑)
LINEがなければ続かない関係はその程度のしょうもないものだ。
スマホを手放したい。
このクソツールがないほうが人生が充実していた。
人と常時つながることで、人は人と親密になる力を失っていく。