スーパーに行けば、たくさんのおいしい食品が置かれている。
この安い豚肉ではなく、もう一ランク高い豚肉を買いたい。
毎日好きなものばかり食べられたらなぁと思う。
しかし、その生活が当たり前になると感動も感謝もしなくなり、太って病気になる。
スマホも同じである。
人間はスマホによって人間といつでもつながることができるようになった。
確かに便利になった。
その反面、他人に常時つながることで他人に支配され、既読や無視、返信速度など、他人の一挙手一投足に悩まされるようになったのだ。
スマホの登場によって、細々したインスタントなコミュニケーションが爆発的に増えたが、その代償として、人は人と親密になる力を失っている。
リアルな対面でのどうでもいい雑多なコミュニケーション。いわゆる雑談はその人間関係を豊かにしてくれる。
しかし、ネットの雑談は関係性を豊かにしない。対面での雑談と、LINEなどのインスタントなメッセージのやり取りは別物である。
ネットでインスタントなやり取りをすればするほど、人は人と親密になる力を失っていく。
ネットのコミュニケーションが増えるほど、人は対面の他人と親密になれなくなる。
リアルな他人と親密になることが恐ろしくなってくる。
近い将来、人が深いコミュニケーションを取れるのはネットやAIだけになるだろう。
もしくは、本、映画、ゲーム、アニメなど人が作った物を通じた、間接的な人とのコミュニケーションだらけになっていく。
人が目の前にいるのに人と親密になれない。
人との親密さは、人が生きる上でとても重要な要素であるにも関わらず、人は人と親密になれなくなってしまう。
リアルでのコミュニケーション能力の低下どころではなく、リアルな他人と親密になることが不快になる。
しかし、人の深いところを満たしてくれるのは人とのリアルな対話や交流だけである。
スマホが人と人をつないだのに、孤独や孤立が問題になっているのはその証拠だ。
コロナ禍でもたくさんの人が自殺した。
いま、かろうじて人と人をつないでいるのはネットではなく、学校や職場のコミュニケーションである。
学校に登校するという制約のおかげで人と人が出会い、コミュニケーションが生まれ、友人や恋人ができる。
学校や仕事のAI化や遠隔操作が進めば、そのつながりも失われる。
最後に残るのは家族で生じる親密さだけ。
だがその家族の親密さは、いつも一緒にいることで維持できていたのではなく、学校や仕事などのおかげである。
いつもそこにいない時間が家族の親密さを支えていた。
俺たちはそろそろ気づかないといけない。
人間同士がいつでもどこでもつながることは、むしろ人間関係を希薄なものにしていくということを。
俺たちは便利なものを得る度に、精神的なもの、深いものを失っていく。
このままだと、目の前の他人がノイズに変わっていくだろう。
ノイズとは、バグや雑音やバイ菌みたいな意味だ。
目の前の他人は不快だけど、ネットの他人には耐えられる。
親密さを心の深いところで望みながらも満たされない人間は、その代わりにネットやAIで騙し騙し満たそうとするが、心が穏やかな安心感に包まれることは決してない。
面倒で不便なこと、制約があることが俺たちを人間らしくさせてくれている。
便利さはもう要らない。