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ポルノ断ち232日目∶モテない人はポルノ断ちやオナ禁しようがモテない

世の中にはモテない人がいる。
 
 
俺もその一人(笑)
 
 
そういう人はポルノを観ても観なくてもモテない。
 
 
長期間オナ禁しようがモテない。
 
 
だからといって、ポルノに依存してはいけない。
 
 
ポルノを断つのはモテるためにするんじゃない。
 
 
生きるためだ。
 
 
俺は社会的に孤立している。
友達も恋人もいない。親と疎遠で父親は孤独死した。帰る実家もない。
 
 
万が一のとき頼れるのは国の行政や福祉だけだ。
 
 
たまに死にたくなるが、俺に自殺する勇気はない。
 
 
死ぬ勇気がない以上生きるしかない。自分が自殺以外の原因で死を迎えるまで、生きるしかない。
 
 
生きていく以上、かっこよくなくてもいいから残りの自分の人生を楽にしてあげたい。
 
 
自分のために生きたい。
 
 
これまで自分をいじめ過ぎた。たくさん無理し過ぎてきた。
 
でも、もう自分を傷つけたくない。
 
 
叶うならば、一日七時間労働で働き過ぎず、質素に小綺麗な生活をして残りの人生を過ごしたい。
 
 
セックスはしたいが、モテなくても全然構わない。
 
 
 
ところで、ポルノ依存の人はどんどん動画のジャンルが過激になっていくという。
 
 
暴行や同性愛や動物などを観るようになる。
 
 
グロテスクで気持ち悪いものを観るようになる。俺もそうだった。
 
 
こうしているとき、自分の心は傷ついている。俺は自分に酷いことをしていたもんだ。
 
 
 
ポルノを観ることで自信をなくし、自己嫌悪に陥っている人はポルノによって心も生活も乱れている。
 
 
大半の人間はポルノを観ている。
 
 
でもポルノによって心身に悪影響を受ける人にポルノは要らない。
 
 
もちろん、人生があまりにも辛いときは何かに依存していいと思う。
 
酒、ギャンブル、お菓子、自己啓発、宗教、ポルノ、スマホゲームなど、現代には逃避できるものが山ほどある。
 
 
しかしいつまでも心にギプスをはめている必要はない。
そんなことを1年以上も続けているのはおかしい。
 
 
 
少なくとも俺のブログの読者はもうポルノに避難する必要はない。
 
 
 
俺は実感するが、ポルノを断っても幸せにはなれない。
 
 
幸せの構成要素とは、その多くが「他者と同じこと」による感情だからだ。
 
 
大半の人間がポルノを観ているなかでポルノ断ちすれば、むしろ孤独感が増す。
 
 
しかしそれでもポルノ断ちをすべきだ。
 
 
 
話が逸れるが、少数派は基本的にさみしい。
 
 
少ないと言うことは、それだけで幸福感を下げる要因にもなる。
俺が大衆や喧騒を離れるのは、自分がみんなと違うからだ。
 
 
例えば、みんながスマホやインスタやLINEでワイワイ交流している中で、自分だけそれらに興味がないと疎外感が沸いて不幸に感じる。
 
 
俺は俺でいいと分かっていても、共同体から外れることはストレスだ。
これはおそらく人間の生物としての原始的反応なんだろう。
 
 
人間は社会的動物だから、群れから外れたり、仲間がいないとストレスを感じさせる仕組みになっている。
 
 
脳がそういうふうになっているからどうしようもない。
 
 
幸福を感じたければ、善悪を無視してみんなと同じことをすればいい。
 
でも俺にはできない。したくない。
 
 
 
愚かな行為を真似てまで、大衆と同じになりたくない。
 
 
 
だとしたら、そこから離れるしかない。
 
 
幸福になりたいのなら一生ポルノを観ていればいい。
 
 
しかし自分自身でありたいのならば、さみしさや孤独を覚悟しておこう。
 
 
現代人にとって、依存媒体から距離を置くことは自分の生物としての本能に逆らう行為だ。
 
 
俺はポルノが嫌いだ。そしてポイントカードも嫌い、砂糖やジャンクフードも嫌い、自民党も嫌い、無能で残業ばかりするサラリーマンも嫌い、八時間労働も嫌い、渋滞も嫌い、LINEやインスタも嫌い、スマホも嫌い、テレビも嫌い、Yahoo!ニュースも嫌い、そして最も嫌いなのは思考停止の大半の日本人だ。
 
 
俺はこうしたものに背を向けているから、疎外感を感じることが多い。
 
 
もちろん、多くの人と一緒になろうとしたこともある。
でもなぜか苦しくなる。
合わないのだ。
 
 
言い換えれば適応できない。
 
 
そうであるならば、俺は俺の道を進むしかない。
 
 
 
長くなった。
 
 
結論。とりあえずポルノ断ちを始めよう。
 
 
では、今日も上から目線で失礼する。