このブログは誰のためにあるのか?
俺自身のためにあり、俺と同じ原因で生き辛さを感じている人のためにある。
このブログは一見、ポルノ依存をテーマにしているように見える。
しかしポルノ依存もスマホ依存も表層の症状に過ぎない。
なぜポルノやスマホに依存するのか?
孤立感が強いからである。
実際孤立しているのではなく孤立感を感じているからだ。
ではなぜそんな気分になるのか?
おそらく親との関係が原因だ。
親と過ごした家庭環境が変だったのだ。俺の親父は子供に無関心で、母は過干渉で、変な家庭だった。
すべてを親の責任にするつもりはないし、親から自立している以上、人生は自分で切り開いていける。
でも、それでも、なぜか、この孤立感は中々消えない。
甘えているわけじゃない。
なぜか苦しいんだ。
変な家庭で育った人をアダルトチルドレンというらしいが、そういうレッテルは正直どうでもいい。
どれだけ精神医学や心理学の本を読んでも、生きるのが楽にならないのなら意味がない。
俺の依存症の下層には孤立感がある。その孤立感は両親との関係の中で生まれた。
俺は自分のこの孤立感をなくす方法を考えた。
その答えを見つけて、俺の孤立感からくる生きにくさを解決するためにこのブログはある。
だから、このブログはポルノ依存症やオナ禁したい人のためではない。
もっと深い問題で苦しんでいる人のためのものだ。
実は、俺自身もう答えは出ている。
自分の孤立感を癒す方法は分かっている。
それは、自分の話しをふんふん聞いてくれて、分かってくれる人のそばにいることだ。
自分のことを分かってくれる人、共感してくれる人のそばにいると安心感を感じて癒される。
孤立感の対義語は共感と安心感だ。
一緒にいると安心感を感じる人のそばにいると癒される。
そういう人が、たった一人いればいいのだ。
そう思い、婚活をしている。
居場所でもいいが、毎日そばにいてくれた方がいい。
だとしたら、それは必然的にパートナーになる。
一緒にいて癒される人とは、俺の両親との関係で生まれた心の穴を埋められる人だ。
俺の父親は無関心だった。
だから、父親が死んだときは全く悲しくなかった。
他人みたいなものだったから。
俺のこの孤立感は父親の無関心の反響だろう。
だからこそ、自分に興味や関心を注いでくれる人のそばにいると癒される。
今の俺の目標はシンプル。
仕事に精を出しても、自分の孤立感の解決にはならないことははっきりしている。
孤立感は金や社会的に認められても解消しない。
仕事で認められても安心感は感じないし、心は癒されない。
たった一人、安心感を感じる、この人だと思う人に出会えば、このブログの役目は終わる。
はやく、終わらせたい。
重ね重ね言うが、俺は甘えていない。
自分の人生を精緻に分析し、どうやら自分は安心感を感じる人のそばにいるときは、楽しく元気に過ごしていたと分かったからだ。
その自分の勝ちパターンに忠誠を誓ったのだ。