サッカーワールドカップが近いですね~。このムードに押されて、「今日くらいはオンラインポルノ動画を観るか」という気分に負けてはいけないと思っています。
さて今日は「性欲は本能ではない」がテーマです。
人間の三大欲求は食欲、睡眠欲、性欲と教えられ私たちは生きてきました。人は食欲も睡眠欲も最低限満たさなければ死んでしまいます。
ですが、性欲を最低限満たさなければ死んでしまう人間はいません。そもそも最低限の性欲とは何でしょうか?食欲ならおにぎり最低二、三個、睡眠なら最低二、三時間で毎日生きている人もいるかもしれません。
性欲に関しては特に問題ありません。強いて言えば、男性の場合は夢精でしょうか。私はオナ禁もしているので、これまでの80日の間に2回夢精しました。しかし女性の場合はそういうものはありません。
また、科学の進歩によって、性行為をしなくても子供を作れる時代になりました。繁殖行為としての性行為は人間にはもう必要なくなったのです。とすれば、残るのは性的快楽のための性行為だけです。
性欲が本能とみなされているのは、性行為をしなければ人間が絶滅するからでしょう。
そう仮定すると、今後は性欲が性的快楽や精神的満足を求めるための行為になっていく可能性は高いです。性欲は本能から「人生を豊かにするための一つの要素」に変わっていくと思います。ちなみに性欲を満たすパートナーがいる人は幸福度が高いそうです。
余談ですが、ある本によると資本主義において格差が拡がると、低年収の若者は恋愛への欲求が減少するそうです。恋人の存在を「コスト」と捉える若者が増えてくれば、ますます性欲は本能ではなくなっていきます。その人の経済力によって、性欲の強さが変化するのであればそれは本能ではありません。
私たち男は女性の裸体や水着姿を見ると興奮します。それは理屈を超えた生理現象です。
ただそれは、子供が欲しいからではありません。単純に快楽が得たいからです。美味しいものを食べたい、お金持ちになりたい、親友が欲しい、高い学歴が欲しい、芥川賞が欲しいなどといった欲望と性欲は同じです。
つまり、ある程度資本主義が成熟してくると、性欲は本能から社会的欲求に変わっていくということです。
私はそう考えています。
性欲は必ずしも満たさなければならないものではない。これは彼女ができなくて性欲の捌け口を失っている人には、小さな小さな慰めになると思います。
とはいえ男の性欲は強いですから、それをどうすればいいのかという問題が残っています。
哲学者のショーペンハウエルは「性欲を失うことは、人生がセミの脱け殻になったようなものだ」と言っています。
私はそうではないという気もします。ショーペンハウエルは父親の資産を増やし、女優と恋愛していたほどだったので性欲が強かったのでしょう。
性欲を満たさなくても死にはしない。そしてもはや性欲は本能ではない。
それ以外のことは私には分かりません。
ただ言えるのは、ポルノで性欲を満たして性的快楽を得る行為は私には大切なことではないということです。
例えば、悪魔と以下の取り引きをしたとします。
①自分が望むだけの金、社会的地位、豊かな人間関係、かわいい彼女を得られる代わりに毎日ポルノサイトを閲覧しなければならない。
②色々と質素な人生だけれど、自分を依存症にするコンテンツや行為から自由。
私は②のタイプの人間ですね。
自分の性欲をどう扱っていくか、それは特に男である私たちの選択次第です。
では、ポルノ断ち街頭の先に何があるのか、共に参りましょう。