最近、おのころ心平の「病気は才能」という本を読んだ。
その本によると、自分の感情や欲望を抑圧していると、身体はそれを病気として発散するようになるそうだ。
また、言葉の重要性も書かれていた。自分がふだん使う言葉が自分を定義していくと。
思い返せば、俺は今日まで以下のことにこだわっていた。
・自分は孤立、孤独である
・人の輪に入れない
・ネット依存の自分はダメ
・家族仲が悪い
・孤立の影響で慢性的な皮膚炎になった
・生きているのが辛い
・資本主義が悪い
・友達いないからモテない
・誰かに興味や関心持たれたい
・パートナーがいれば元気になる
・ネット依存症、愛着障害、HSP、アダルトチルドレンなどの病名で自分にレッテルを貼る
こうした言葉で自分を規定してきた。そしてその結果は何も変わらなかった。むしろ悪化していった。
俺はもう、そうした言葉で自分を定義するのをやめる。
ただし、さみしいときはさみしいと言う。
自分の生き辛さを定義してきた言葉にフォーカスするのをやめ、言葉遣いに気をつけていく。
最近はたしかにネットばかりしていた。ただこれはマッチングアプリや副業のためにウーバーイーツのことを調べていたからだ。あと、カウンセラーや電話で話し相手になってくれるサービスを探したり、利用していた。
俺はもう、自分をネット依存というのをやめる。
ここにきてようやく、俺の人生の突破口が開けてきた感じがする。
言葉や情報は不思議である。
周りがどれだけためになることを言っても、その人が然るべき段階になるまで届かないのだと思う。そして、その然るべき時は、人為的に作れるものではない気がする。
俺がそうだった。
俺の心は、もうネガティブな言葉で自分を定義する必要がなくなったのだ。飽和点に達して、傷は癒えた。
もう昔の言葉を杖にしなくていいのだ。
新しい言葉で自分を作っていっていいのだ。
今までブログを続けてきた甲斐があった。
よかった、よかった。
あなたにもいつか然るべき時がくるだろう。
それまで、ああでもない、こうでもないと言いながら生きていればいいのだ。
それにしても、今日は俺が一番かっこいい日な気がするなぁ(^^)
いや、確信する!