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「限りある時間の使い方」を読んで、世間で広がり始めた価値観を追求しないほうがいいと分かった

先日、数ヶ月前に図書館で予約した「限りある時間の使い方」という本がようやく借りられたので読んでいた。
 
感想としては、人生で追求したり、コントロールし過ぎると害になるものや、最低限必要なものについて考えるきっかけになった。
 
最も参考になったのは、時間や効率を過剰に追求すると有害だということ。自分の時間が大事だからといって、他人を避けてばかりいると孤独になってしまうことや、効率的に仕事をこなすと、どんどん仕事が増えてしまうことは本書を読んで身につまされた。
 
世の中にはコントロールしようとすると、逆に悪影響をもたらすものがある。
自分の意志で物事を思い通りにしようとすればするほど、自分が苦しくなってしまうことがある。
 
そこで、ここ数年の間に巷でよく聞いた価値観などを振り返ってみた。基本的に俺は新しい価値観が世にはびこっても追求しないほうがいいと確信している。特に、金と利便性に関することはほとんど無視していい。なぜなら、もうすでに俺たちの生活は十分豊かだからだ。戦争や凶悪犯罪が少なく、街は基本的な清潔さに保たれ、雨風がしのげる家があり、公共施設の水道水が飲めてトイレも無料、毎日いつでも風呂に入れ、スーパーには大量の食品が並び、医療も安価で受けられ、郵便物の再配達が無料で行われる。そして、万が一の生活保護がある。これほど恵まれた国に住みながら、一体何が足りないというのだろうか?マジで、一体何が不足しているんだ?
 
不足しているのは一般大衆の思慮分別だろう。
 
もしまだ足りないと思う人間は、さっさと日本を捨てて、イラクアフガニスタンミャンマーにでも行けばいい。そうした国で、自分の欲望がいかに過剰な暴走を起こしているか腹の底から実感してきたらいい。
 
話しが逸れたが、そういうわけで「基本的に」追わない方がいいものを列挙していく。
 
①副業をしよう!
政府が副業を奨励したり、副業関連の情報がネットや本屋で山ほど見かけるようになった。この価値が浸透し始めてから俺が感じたのは、ワークライフバランスの価値観は一体どこに行ったのだということ。副業の価値が登場する前は、仕事を効率よくこなして生産性を上げて、残業を減らしてプライベートの時間を大切にしようということだったはずだ。それが仕事後や休日に働けとは何事だろう!?結局、ブラック企業がブラック人間に変わっただけだ。事の本質は副業ではなく、一日8時間働いてもまともに生活出来ない給料の低さにある。副業とは問題のすり替えでしかない。
 
結論
副業なんぞしなくていい。副業情報に足元をすくわれるな!副業くそったれの精神で行こう。本業の収入だけで生活できない責任は日本社会にもあるが、自分にも必ずある。仕事後にスマホをいじって何時間も浪費する時間を本業の勉強に当てるべし。それでもやりくりできなければ身分相応の暮らしをするか転職しかない。自分の虚栄心を見つめ、自分にできることを誠実に行えば、ある程度は満ち足りた人生が送れる。
日本に住んでいながら足りないと思ったら、まずは自分の欲望や見栄を見つめてみる。心が枯れているから、不必要なものや見栄でそれを埋めようとしてはいないか考えてみる。
 
②ネットとつながる電化製品
すでに日本の生活水準は高い。だからこうした家電は全く必要ない。あるとすれば、障害者や高齢者ぐらいだ。普通の人は必要ない。今まで通り、扉は手で開け、トイレはレバーを押し、ライトはスイッチを押せばいい。
あなたは自分のケツを拭いてくれるトイレが発売されたら買うのだろうか?あなたの肛門の位置をセンサーが関知し、お尻拭きアームが、日本人がケツ拭きに使うトイレットペーパーの平均量をカットし、ケツを拭きあげる。自ら要介護者になりたければそれでもいいが、人間としての尊厳を保ちたいならやめておくべし。生活家電のネット化とは、人間を幼児や老人に仕立て上げていくようなものだ。人間はこうして様々なものを奪われ、最後に残るのは、奇形化した欲望だ。
 
結論
もっともっとと利便性を追求した先にあるのは不便さの地獄だ。
 
③日本は孤立社会
孤立という問題は人生でもちろん大切なことだ。今回のコロナで孤立を深めた人の自殺もあったかもしれない。俺も他人事ではない。しかし自分の孤立を嘆く前に、絶望して自殺する前に、自分の日常生活を振り返ってみてほしい。
 
酒やタバコやギャンブルに溺れていないか?
頼れる支援は頼ってみたか?
 
SNSをして鬱になっていないか?
 
過剰なプライドや自尊心を持っていない
か?
 
栄養のあるものを食べて、ゆっくり寝ているか?
 
自分の心の渇きを病的に依存させるもので埋めていないか?
 
日本政府は孤独対策に乗り出した。それはいいことだが、この価値も行き過ぎると自分を見失う部類に入る。社会が孤立を問題視すればするほど、今まで一人きりで生きてきた人の意識に強い違和感をもたらす。いつも通う銭湯や図書館でのちょっとした挨拶程度のコミュニケーションで十分だった人が自分がおかしいと思って、必死に孤独を埋めようと居場所を探す。あるいは家と会社以外に人間関係を見つけようとする。ただ、俺の体験では、こうした関係でできた人はいざという時にあまり助けにならない。本当に人を助けてくれるのは家族や国や行政だけだ。特に社会契約の場面で必要とされる「保証人」などは相当深い関係でない限り、誰も引き受けてくれない。
 
他人との他愛ない関係は自分を豊かにしてくれる。人生の息抜きにはなる。でもいざという時には役に立たない。だから、あんまり一人に悩まなくていい。それよりもまずは自分に害悪をもたらしている習慣を減らそう。
 
親友や深い絆を居場所の人間関係に求めるのはやめておこう。そして探す必要もない。居場所を探すならただの気晴らしのつもりで行こう。生きていけなくなったら生活保護を受けよう。孤立が問題になったのは経済格差が日本に取り出たされてきてからという実感がある。俺は、孤立感が深まったのは経済格差によるものが大きいと確信している。
 
では、経済格差とはそんなに問題なのか?
 
少なくとも日本においては問題ではない。人間の尊厳を踏みにじった広告に煽られ、買わなくてもいいものを買わされ、他人と幸福を比較される狂った社会に問題がある。俺たちは他人との「収入の差」に不幸を感じているのだ。そう思い込むことで自分をもっとみじめにしている。相対的幸福を完全に脱することはできなくても、自分は今の収入で満足出来ないのか真剣に考えてみるべきだ。経済格差を嘆く前に、そもそも金持ちも貧乏人も日本には昔から一定数いたはずだ。だが、収入の差が大きくなる階層の人が増えるとそれが問題になる。それが人間のかわいそうなところだ。
自分の生活に満足しているならその収入でよしとしよう。相対的幸福のレースに積極的に参加するのはやめておこう。
 
結論
人間関係をもっともっとと求めない。居場所には気晴らし以上の価値はない。昔から経済格差があったように孤独な人もいたことを思い出そう。
 
④本当に大事なことに時間を使おう
最近恐ろしいほど流布してきた価値観がこれだ。
例えば、俺がポルノ断ちして出来た時間を「本当に大事なことに使おう」というわけだ。デジタルデトックスミニマリストの先にあるのもこの価値観だ。
だが、本当に大事なことばかりしていたら人は飽きないだろうか?息が詰まらないだろうか?
一日中家族や大切な人と一緒にいたら嫌にならないだろうか。帰宅後、自分の能力をあげるための勉強ばかりしていたら馬鹿らしくならないだろうか。
つまり、大事なことに時間を使うことがどれほど価値があっても、過剰に求めるとこれも毒になる。大事なこともバランスが重要なのだ。
 
結論
何もしない時間も大事な時間。ちなみにスマホ依存症などで浪費する時間は有害な時間。これはそもそも人生になければないほどいい時間なので減らしていくべし。
 
俺たちはこの資本主義社会から完全に降りることはできない。しかしこの仕組みがある一定のレベルを越えると、無駄で成り立たせる面が増してくると気づいた。人間を麻痺させ、もっともっとと刺激し、相対的幸福感を煽る面が強まってきた。このままこの資本主義が修正されなければ、右肩上がりに無駄が増え、欲望は麻痺させられ、他人との幸福の奪い合いが加速し、与えられている幸福に気づかなくなっていく。
 
最も追求していけないのは資本主義だ。右肩上がりの経済成長ではなく、相対的幸福から半分抜け出る努力。
 
変えられるものを変えてゆく勇気を
変えられないものを受け入れる落ち着きを
そしてふたつのものを見分ける賢さを
 
以上、これで限りある時間の使い方の感想を終える。
 
 
 
 
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